ここオーストラリアはEster Holiday入り。今日はGOOD FRIDAYで休み。店は全く開いてない。SHINSUKEに誘われ、UNIのグランドでサッカーをする。スパイクは車のトランク、その車はメカニック入り。仕方なく、マコちゃん(ずっと一緒にサッカーをしてきた唯一の友達、新米パパ)にもらったおニューのインドア用のミズノを下ろす。すべる。すべる。けど足にはフィット!マコちゃんにもらったもんだからサッカーうまくなれそうな気がするものの実際は、俺のへたれっぷり満点。まぁ、でも俺はこれが何よりの精神安定剤。「走る」俺には必須なのだ。

終わったとは日本ドラマ「ORENGE DAYS」「BIG MONEY」をShinsukeにあげるためお宅訪問。両方ともなかなかだ。手話ができるようになったらまた人との出会いも増えるだろうなぁ。と株を知るにはもってこいのドラマ、今見るからこそ面白い。
第三ヶ国語は中国語。か手話がいい。できたらだけど・・・。
確実に世界が広がると期待が膨らむ。

サッカーの後、ともかくSHINSUKEのうちで飲みながら語らう。最近なかなか話の合うやつは少ない。同じスタートを切って、同じ学校に通うSHINSUKEは話が合う。楽しい。就職とか社会の話、友達の話、サッカーの話はちっとついていけない範囲!?っぽいけど、わりとこーゆーちっと真面目な話はしたい時がある。
そんなこんなで最終バスを逃し、YOSHIが来て、今度はネットでサッカー応援。日本VSイラン。
一分ごとに文章がロードされるスポーツニュースだ。これはやたらと妄想能力が必要とされる。そして結局、どれだけ惜しいプレーだったのか、どれだけ危ないシーンだったのか解らず終いだ。ともかく結果、2−1で敗北。日本VS北朝鮮のビデオの方が面白かったのは言うまでもない・・・。
そしてタクシーで帰る。

俺はサッカーを見るより、やるのが好きだ。思い返せば、語学学校時代、世間はWORLD CUPの真っ只中、Melbourneにいた俺は、日本戦が始まっているというのに、体育館で自分が日本代表気分でサッカーをしていた。遅れること後半戦が始まる頃、やっと応援を始めてたのである。これは自分でも決定的に見るより、やる方が好きだと知った瞬間だった。

応援される立場にいたい。
運動会、小学校のときから徒競走だけは負けたくなかった。幼いながらも、母には「テストで100点取るのと、徒競走で一等賞をとるのどっちがいい?」と聞いたほどだ。母は「もちろん、一等賞でしょう!」と断言してしまった。おかげこれだ。

中学の陸上大会は国立競技場。一、二年は応援だった。朝から声出しの練習。つらかった。国立を走りたいがために陸上部へ入部。三年生。俺は国立競技場を3回走った。200m個人予選、決勝。リレー第三走者。自分の名前を600人の生徒に応援されるのは、なんともいえない快感だった。妹は応援団、「自分の名前なんか連呼するのヤダ」と愚痴ってはいたものの、俺は内心、嬉し、誇らしかった。
そのせいか高校は陸上部へ。連合陸上大会、水泳大会、サッカー大会、体育祭、こうして昔を思い返せば、俺はずっと応援される立場にいたようだ。たぶん俺は目立ちたがり屋じゃなくて、応援されて、自分の存在と頑張りを認めて欲しいんだと思う。

これからもずっと死ぬまでそうだと思う。
YAMADAが日本に帰った。夕べの電話を待ってたのに来ないから、俺からかけた。電話の向こうで泣いていたYAMADA。「帰りたくないよぉ〜」って!俺も帰って欲しくなんかないよ。毎晩のように電話して、誰よりもいっぱい愚痴って、一緒に励ましたって、悲しんで、悔しがって、喜んで、笑って。寝てるの解ってても、起こしてまで話を聞いて欲しいって思えるヤツは他にいないから。
もう俺は「ああ、泣け泣け!」って言うしかなかった。
泣きたくなるほど離れたくない場になったAustralia、俺の時はどうなんだろう?ある意味少しうらやましくも思えた。

YAMADAの人生はまた新たなスタートを切ったらしい。
頑張ってくれ!
でいつでも俺に愚痴って、浮かれて、泣いて、あれやこれやしてくれ!

こうしてみんな各々の人生を経ていくようです。

父へ

2005年3月23日 アツク語ります
〜父へ〜

なんだか俺もつくづくいい年になってきたなと感じさせられる今日この頃。
同い年の友達はここ何日かで大学を卒業し始め、まぁ、社会に出たり、でなかったり、おのおのの道を行ってるみたいです。
そんなわけで話のネタになるのは就職のこと。
同い年で一緒に専門行った友達は今の俺と同じ大学に行ってて、ちょくちょく日本に帰っては就職活動をしたり、し始めてるみたい。彼はオーストラリアで生まれて、タイの日本人小学校へ入り、中高は日本。横浜っ子。父親は三菱物産のロンドン支社とか。その彼はまぁ、外資系と日本車の会社を探してるみたい。なんとなくの興味範囲からで。
でINTERWOOSの話をしたらWEBSITEをしっかり見て、興味を持ったみたい。5,6月あたりに日本へ行ったら話聞きたいみたいなこと言ってたよ。なかなか変わったやつで俺は結構面白いと思う。なんせ俺と同じ大学へ入って、同じメジャーを取って、同じスタートを切って、こっちに来たやつだからさ。そんなヤツが俺にはいい刺激になったりしてる。
まぁ、会社に寄ったら話してやってよ。俺も興味あるし。
真輔。今年大学卒業予定。

あとは竹ノ内もなんだかさすがにそろそろまずいって思い出したみたいだし。なんか「NU SKIN」ニュースキンとか言う会社を見に行くとか。それも人の紹介で。どうやらアメリカの会社で一兆円近く稼いでて、その日本支社みたいなんだ。でもそこも600億円くらい稼いでるみたいだし、まぁ、なかなかの会社なんだろうね。でもどうも「ディストリビューター(ニュー スキン社と契約を交わし、ニュー スキン製品の小売販売、およびビジネスの紹介・勧誘活動を行う人。)」とか言って、個々をまわって、化粧品を売る。用は話し好きおばさんがイメージの販売みたいなもんなのかなぁって俺はサイトを見て思ったんだけど・・・。どうなんだろ?なんか知ってる?その会社。

俺は個々を廻っての営業も絶対やりたいけど、ただなんだか化粧品をうりまわって、その先がどうなんだ?って単純に見えないけど・・。まぁ、結局、よっぽど飛びぬけた営業成績があったら、お目に留まるのかもしれないけどさ。どうも先へのステップアップとか次の目標とかなんかチャレンジできるもんじゃないとなぁって思うとその「NU SKIN」って会社はどうなのかなぁって思った。

竹は紹介の話からそんなおいしい話があるのか?って言ってた。稼いでるヤツがいるみたい。でも俺はそいつは決して楽して稼いでなんかないと思う。営業して成績出してそれに見合う報酬なんじゃん?店先であれやこれや売ってるのとはやっぱり違うんだよ。口説いてるんだもん。店先じゃ口説きより品。営業周りは口説きでしょ?それもあり。ただね、俺が思うのはそれをもっとでかいステージでやれたら楽しいだろうなって。いい年したおばさんやらに化粧品売るのに口説くより俺はどっかの大企業のヤツを口説きたい。その目的の差ってか、夢見てんのか知らんけど。時代をみないと。なんなら俺がその化粧品の売るやつらを動かしたいね。って返信。

とまぁ、でかいことを言っても・・・。
ともかく俺は正直何をしたいのか分らない。個々に廻る営業でもしてみたいのは確か。
ただなんとなくやっぱりこの国際化してどんどん狭くなってきた世の中で、流れに乗った仕事はしていきたいと思う。
それからこっちに来て思うのはやっぱり日本はすごい!んだって思う。日本史のなかでずっと頑張ってきたアツイ人たちが今の日本を築きあげてきたわけで。今ここでも日本がどうしてそこまで急成長したのかっての勉強してる。でそこまで築かれた日本の今はなんとも覇気がなく、このままじゃまずいなぁって俺も思う。とくにINTERNATIONAL STUDENTが集まるところにいるわけでそこには日本人の姿はあんまりない。せいぜい、オーストラリアを堪能しちゃってる日本人に過ぎないわけで、俺はそことは違うつもりだ。
世界の舞台に立てる自分になりたいし、じじばば、ちちははのその前からずっと必死でやってきた日本人としても日本がこのまま落ちぶれていくのは、やっぱり一若蔵の俺としては言うのは重たいけど、やっぱり見過ごしたくはないなって思う。

ただ俺にはいったい何ができるのかわからない。

最近にビジネスってのをはじめて勉強し始めたわけだけれど、なんだか当たり前のことを当たり前と知っていながらも使えない人たちに教育してるんだなぁって思う。俺もそのうちのひとりなんだ。
でね、あれやこれやはじめたばっかりで、変にいろいろ考えちゃうのかも知れないけどさ。今の俺にこれをやっててこの先、必要なことなのか?とか今ここが俺の区切り目で働きにでる選択を取るのは今のなのか?とか。金を払って時間を費やして、今ここで俺はUNIで勉強するべきなのか?働き出したら多少の金を逆にもらいながらそれらを現場で勉強できるんじゃないのか?とか。思うことは山ほどで。

ただ今俺がここでやってることは間違いなく無駄にはならないって確信を持ってはいるんだよね。そとからの日本。世界からあつまる学生。世界事情。国際感覚はやっぱり日本にいて得られるもんじゃないと思ってるし。ひょんなことが面白くて大事なことだったりするのが身にしみて分るから。
それから俺はまだまだ人間として、いち男として、お子様だったりして、成長すべきところはありあまる。

あとね、最近にビジネスって思い出してから考えるようになったのが一番大事なんだと思うんだ。
たとえば、これはいけるんじゃないか?とか。課題だったりもするんだけどさ。
オリジナルのシャツとか時計とかなんでもいいんだけど、自分で選べる、デザインできるもんをネット上で作ってそれを手元に送ってもらえるサービスとか。
ガソリンスタンドは自分で入れて、サービス料をなくして安くサービスできるんじゃないか?とか。
IPODとかMP3音楽機器がはやり始めて、歌の自販機とか。
酒でもなんでもコンビニからのホームデリバリーとか。これは確か老人向けにやってるかな?
個々の足の形に合わせられる靴(中敷とか全体的に引っ付くヤツとか)。
俺はどうしてもビジネスシューズがはきたくないから、完全にスポーツシューズ感ではけるビジネスシューズとか。

とかとかあっちこっちにビジネスチャンスがあって、そういうのを考えるのが大事なのはよーくわかる。それになんせビジネスって思ったのはほんとにごくごく最近でなんも知らないんだ、俺は。そういう意味では、1,2年、自分のやりたいこととか分野とか全体像とか知識とか得るいい時間ではあるように思う。
ただ俺はやっぱり実践派!やってみないとわからん。

ただ何よりも人とのCMMUNICATIONが何より一番大切で、絶対不可欠、俺の得意分野に!と思ううちはまだまだここで学べるもんが多いと思う。

悩める年頃2,3日で俺はもう22歳です。

〜絵美もー&じゅんくん〜
誕生日おめでとう!!

空へ

2005年3月17日 友達
〜空〜

誕生日おめでとう!!

山田

2005年3月14日 友達
〜山田〜
誕生日おめでとう!!
やっと一人部屋に移った。今までにはないくらい快適な勉強机。L字型デスク。本棚も埋まらないほどのスペースあり。パソコンも二台置けて、教科書、ノート、辞書が広がる。ああ、勉強部屋だ。勉強ってもう響きがしたくなくするね。勉強拒否反応でそう。

〜YOSHIKO chan〜
誕生日おめでとう。

誕生日

2005年3月12日 学校・勉強
好きになった人達の誕生日が同じだったら、どう思いますか?

同じ誕生日の友達が3人います。年も同じ、血液型も同じ。性格は似てると思いますか?俺は、人は皆、自分とのとの共通点を知ることで、親近感を覚えることから誕生日、星座、血液型などなど誰にでもあるはずのものをネタにし始めたんだと思います。
もうひとつは、目安。好きな人ができたら不安とか期待とかがどうしようもなくなって、なんとか関係を知るための占い。相性の悪い人のコジツケ。または自己暗示。

地元意識、国柄、年代。確かにこゆーところからの意気投合は、きわめて起こりやすい。似た環境から話が合う人は、単純に多いはずだから。これもある意味、共通点からだ。

同じ誕生日、年齢、血液型の3人と自分との共通点は、その事実だけでも他人とは共通点が多い。ただそれで性格が同じとは全くもってありえないと思う。なにより環境が個々違うわけだし。それでも俺は同じ日に生まれたその友達と誕生日を一緒に祝えることが嬉しいな。「俺らの誕生日おめでとう」みたいな。

ともかく、血液型性格診断は、DNAの関係で似たり寄ったりすることもあるのかもしれない。誕生日占いも、当てにしたくなる気持ちは割りと誰にでもあるもんだと思う。それでもそれらは、目安になるかならないか、くらいなもんだ。俺は、そんなことで人を見たりは絶対にしない。けど立て続けに好きな人が同じ誕生日だと知った時、なんだか嫌でも考えさせられたりする。

〜エリ〜
誕生日おめでとう。を言うのはこれで何回目だっけ?

〜Bhiraya〜
HAPPY BIRTHDAY TO YOU! I still dont know how old you are... You told me that my memorry is right, but I still not sure. Anyway, I dont really care much.

ありさ

2005年3月11日 友達
誕生日おめでとう

HAYATO

2005年3月10日 友達
誕生日おめでとう。

はらだ

2005年3月9日 友達
誕生日おめでとう!
〜エリナへ〜
誕生日おめでとう!

なんだかエリナだけは定期的に連絡を取ってくれてるねぇ。最近は、なかなか試験に向けていっぱいいっぱい勉強に励んでいるようだけど、最後まで手紙とか書いてくれるのはエリナだけだし。感謝感謝だよ。もっと皆のたわいもない話とかを聞きたい俺。

〜内藤さんへ〜
先輩が亡くなって、5年目。
俺は今でもこの時期になるとなんだか手付かず状態になってしまうみたい。勉強もUNIは入りたて、やらなきゃいけないのはわかっていても、どっか抜けてます。一人勝手に寂しいモード突入。1週間前後はもうそんな感じ。
寂しくなるじゃんねぇ?

俺、悔しいよ!!忘れたくないのに段々記憶が薄れていく。先輩の声とか笑顔とか、何を話したとか・・・。忘れたくないのに忘れていく。
俺はもう先輩の年を追い越して、それでもいつまで経っても俺の理想。死んでいった先輩は、だんだん俺の中で、大きくなっていく。

5年前。スノボーに行く前日。俺は旅行に行く、買出しに玄関を出ようとした時、家電が鳴った。面倒くさいなか受話器を取ると、電話の向こうで千春が元気ない声で
「先輩が交通事故にあった。」って。
「で?」
「亡くなったみたい。」
「(え?)」「マジでか?」
「うん・・・」
「そっかぁ。」
「お前は大丈夫か?」
「うん、よくわかんない」
「しっかりしろよ。」
「うん」


「でどんな感じだったの?」
「知らない。他の事は何にも知らない。」「どうしよう?」
「他には誰かに連絡したか?」「俺が誰かに連絡しようか?」
「うん」
「お通夜とか葬式とかはどうなるんだ?」



「じゃぁ、またあとでな。」「しっかりしろよ」
「うん。じゃあね。」

そんな感じの会話だった。
で俺はひとり狭い短い廊下を意味もなく、とにかくいったり、来たり。おもいっきり漫画のようにテンパッてた。独り言も言った気がする。で星野に電話をした。そしたら涙が止まらなく出てきた。とりあえず、分担でスノボー旅行の面子に分担で電話かけたんじゃなかったかな。いきなりだけど行けなくなったって。
でまた行ったり来たり、家中歩きまくって、なんだかてんぱったまま吉野家の牛丼を妹と二人で食べながら、俺は半泣きになりながら妹にあれやこれや語りだした気がする。

そしてお通夜に、葬式。いったん学校に集まって先輩の自宅へ行ったのはどっちだったかな?お通夜かな。夕方だった。元陸上部の一人は真っ赤な口紅をつけて、めーいっぱい化粧を施していた。俺はそれが無性にいらだって、今にもぶっとばしたい気持ちでいっっぱいだった。で人伝いに化粧を落とすように頼んだのを覚えてる。それでも結構残ってた気がする。
先輩の家に着くと若い人たちがたくさんスーツに学生服を着て集まってきた。すごい数だった。人気者だったのを物語っていて、俺はその中での一人でしかないことをさらに思い知らせられたきが余計に寂しくも、皆に愛された先輩がうらやましくもあった。
お焼香は、もうどうやったらいいかもよくわからないし、なんだかしっかり挨拶できたのかどうかも覚えてない。覚えてるのは写真の中の先輩が成人式用っぽいスーツ姿でぎこちなく写っていた。今ではその姿が一番はっきり覚えてる気がする。
お通夜の帰り道は暗かった。みんな個々歩く差ができつつ帰って行く道。俺の後ろではなんだか祭りの帰りと変わらないような会話が聞こえてくるのにやたらと腹を立てた。
またあいつか!(怒)

葬式は昼間だった。なんだかまだ2回目なのに先輩の名前がFULL NAMEの看板で出ていたのに現実を見た。
「俺と同じ名前の漢字だ!」
先輩と話したのを思い出した。

最後にあったのは一個上の学年の高校卒業式。俺は先輩にくっついて回り、どっかしらから見つけてきた、バイブレーター機能つきのドラえもんで一緒にはしゃいだ。赤い尻尾を引っ張ると震えるヤツだ。校庭に置いてしっぽをひっぱると歩いてるみたいだった。卒業生が出てくるのをアーチを作って待つ。OBの先輩が来てる部活はほとんどなかった。俺は先輩達が来てるのが誇らしく、卒業生がうらやましかった。
「先輩、来年俺の卒業式にも来て下さいよ!」
「あたりまえだろ。」
そんなちっちゃな約束がすごく嬉しくて、卒業が楽しみになった。
一週間後俺は千春の電話を受け、今はお父さんの言葉に堪えてた涙が全部溢れ出し、もう前が見れないほどぐしゃぐしゃで、霊柩車を見送ると、ひざから崩れそうになるのを必死で堪えた。あとあと周りの人が泣いてるのを思い出した。俺はこういう場で泣かない。堪えられると思っていたけど、車が行ったときは本当に先輩が遠くへ行ってしまうように思えた。

俺は一人どんどん思いつめ、少ない記憶の中から必死に習おうとしてる。今はそのおかげで絶対にもう後悔はしない。
先輩に好きだってことすら言えなかった自分を俺はこれからも一生後悔しなきゃいけないから。

俺はもう後悔だけはしない。

六日目。

2005年2月2日 旅行
車に乗り込み、3人のいる空港へ向かう。
ここにもみなの匂いが残る。塩の香りが昨晩の夜の海とこの六日間を思い出させる。
無睡眠で運転。これは危ない。とにかく、一人、皆で聞いたSIMPLE PLANとMOSHPIT ON DISNEYを聞きながら歌ったりする。そして色々妄想しつつ、何とか運転に集中する。気がつくともう完全に朝日が昇りきって、もう朝なんだか昼なんだかわからなくなっている。窓を開けて車を走らせてるのに暑い。
なんとか無事に空港へ到着。
ここ連日の疲れからかとにかく腹が下りそう。トイレへっ直行。
ここんところずっとそうだ。帰る前からずっと腹の調子が悪い。でもよく持ってくれた。こんだけはしゃげた自分の体力に少し驚く。腹の調子も微妙ながら、皆にごうりゅうしなきゃだ。もう少しもってくれ!俺の体。
チェックインカウンターにMASAYOの後姿とTAKEの頭が見える。それからCHIHARUのいかしたパーマ頭もだ。これが似合ってるんだよねぇ。ともかく合流。テンションは低い。
「わりぃ、財布みつかんなかったわ。」
「ああいいよ。もう。」
本当はよくなさそうだ。わずかに期待してた様子。

とにかく、俺はのこりわずかな時間を一緒にいようとまわらない頭を必死にまわすよう働きかける。
チェックインも終え、出国手続きまでの時間を一緒に過ごすが、どうも血の廻りが悪い。貧血になりそうだ。顔が白くなりそうな感じ。軽くオレンジージュースとサンドイッチを食べるがちっともパワーになりそうにない。
やっぱり、会話は少ない。最後にって言って土産屋を回る。が俺は一人ソファーに横になる。周りの騒音が聞こえなくなる。ちっと寝たかも数分。なんだか寒い。やってることもさむい。いじけてるわけじゃないのに。体はここに来て限界か?もう少しだのにぃ!

最後のコミュニケーションをはかる。なぜかできるだけ二人っきりの会話を皆と持つ。
テンション上げようとすると、どっと気持ち悪くなる。かといって低いのも嫌だし、帰りも運転しなきゃだ。心配もかけたくない。「しっかりしろよぉ、俺。」
あーだこーだのうちにもうすっかり時間だ。
きっとまだ時間はあるんだろうけど、余裕は持ったほうがいい。
「もう早くいけ!早く帰れ!」ちょっと投げやりな俺。
「そんなこと言わないでよぉ」とCHIHARU。
写真を撮ったりもした。
うまく笑えてんのか?俺・・・。
無理だな。

とにかく、また、せかす。
「帰れ。帰れ。」
本当に寂しかった。言わずにはいられないほど。

そろそろ時間だ。
3人を見送る。下りエスカレーター手前。
ちっと泣きそうになるのを何度か堪える。
どうやらCHIHARUもMASAYOもそんな感じだ。
とにかく、ありがとうが言いたくて。
言葉にしてるんだけど、それでも伝わってないような気がして、とにかく、めーいっぱいハグをする。どうやらそんな俺の行動が我慢の限界を超えたのか、HICHARUの眼からは涙がこぼれ落ちる。ちっと離れたところで入り辛そうにMASAYOも涙をこぼす。TAKEはまたもうちょっと離れたところで見守ってる感じだ。
「じゃね。」
最後なんていうことないもんだ。それでめいっぱい。
そして必死で涙を堪えてエスカレーターの下る3人を見送る。

見えなくなって、
「ああ、楽しい時間も終わりかぁ」ってちっと呟きたくなる。

出国手続きを終えて、まず、CHIHARUが出てきた。
まっさきに俺のいるだろう上を見上げて来たのがなんとも嬉し、切なかった。あとから二人も出てきて手を振る。
こゆーのってきりがない。
本当は思いっきり、手を振りまくりたいけど、なんだか余計さびしくなりそうで、ちっちゃく振りかえす。

何度も振り返っては手を振る3人。
CHIHARUは、なんか大声で「またね。」っていいたいんだけど、普通の会話程度の声でしか言えてない感じだ。俺もそんな感じで返す。「メールするから」みたいなお決まり文句もいくつか出て様な気がする。
MASAYOは本当に帰りたくないように見えた。そういえば、「また来るね」の一言が本心に聞こえた。妹とはちょっと違うでも似たような感じだ。なんか俺の海好きとノリで負けそうに感じるパワーを持った妹弟子!?って感じかなぁ?弟子ではない。後輩でもない。思うものが少し似てて、すごく身近になってしまった。
TAKEは、俺のあいがとうを突っ返して、ありがとうを何度か言っていた。なんだか少しだけむやむやな想いが晴れたような感じと情けない自分を見つめなおすかのごとく!?手を挙げて、搭乗口へ行った。

一人ひとりの挙げた手がそゆーのを思わせた。
俺は、バルコニーに出て、飛行機を見送る。
「ああ、行ったなぁ。」

駐車場に戻る。料金を払らわないであえて車へ戻ると誰かがぶつけたらしくへこんでいた。遠目から「あれ?俺の車か?」と疑うがやっぱり俺のだ。まぁ、大して落ち込みもしなかった。それより寂しい気持ちが大きくて。
仮眠を取ったか取らないか、料金を払って車を走らせる。
家に帰って、そっこくベットへ入る。
寝て起きたのはもう日が沈んだ後だった。

新しいSHREMATESと土蛍を見に行った。
一人寂しくなることもなく、気持ちがまぎれてよかったのだと思う。

やっぱり友達だ。

改めて、本当に来てくれてありがとう。

ありがとう。ありがとう。
今すぐ逢いたいです。

五日目。

2005年2月1日 旅行
今日は一日引越しだ。
MASAYOは、一人旅。今後のために色々探索することに。

CHIHARUとTAKEは、第二回荷物運搬。
今回はANDYが駆けつけてくれた。
ANDYの車にTAKE。
俺の車にCHIHARU。
どうやらTAKEは前の晩からこの車の輸送時間の英会話を気にしていた様子。無理です。俺はなんと言おうが二人を一緒にさせますから!結果、色々話ししていたようだ。「ほらね。ちゃんと話できてんじゃん!」思った以上だった。
一方、俺とCHIHARUは二人の時間をのんびり過ごす。
TAKEが昨晩からテンパッテいたことなど、CHIHARUの近況などなど。これもまた二人で語れるいい時間だった。
たくさんの人手でさっさと引越し終了。
夕飯はANDY宅でBBQ(バーベキュー)をすることに。

問題はMASAYO一人ゴールドコーストからブリスベンの俺の新しい家まで一人電車バスタクシーを乗り換えてこれるかどうかだ。
スーパーで買い物を済ませた俺らは、はらはら駅で待つことに。
薄暗い駅の階段に座り込むCHIHARU。絵になる。
通過電車にMASAYOが乗っていないか、皆で動体視力を利かせ、必死にみる。どうやら乗ってない!?ってことに。本当に見えたのか?
今度は予測的乗ってくるだろう電車。
CHIHARUと俺はもうホームを走る準備。
TAKEはカメラの準備だ。
電車が止まり。ドアが開く。人が降りる。MASAYOの姿は・・・。
いた!
ちょっと時間差で降りてきた。
誰かに話しかけている。
とにかく、3人で走り寄り、BIG HUG!
無事着いた。
とにかく、「よくやった!お疲れさん。」
褒める。

腹の減った俺らはとにかくANDY宅へ急ぐ。
お持たせしました。
うまいBBQを準備して待っててくれました。
今回はOZとの交流をANDYのおかげではかれた。
そしてANDYは本当にいい奴だ。こいつも熱い。こいつのおかげでどれだけ俺が自信をつけ、友を誇らしく迎えられたことか・・・。ありがとう!
TAKEはビール一本でほろ酔い。パバロバを作る。一度失敗。
皆お疲れのようで少しはしゃぐ様子はみれず、言葉のあれもあるか、最初なんて俺も結構無口になちゃってたからな!
日焼けのほてりとお疲れモードでしっとりしてました。
そして
ゴールドコーストへ。
またもノリ大爆発!
夜の海へ。
誰もいない夜の海。
ちっと恐怖さえ感じさせる夜の海。
これも俺は好きだ。
星がよく見える。街の明かりがまたイカス。(これってもう死語かな?)
なんだかわりと皆無口だ。
思い思いふけってる様子。

あああ、我慢してたのにもう皆が明日帰ると思うと、いてもたってもいられない。パンツいっちょで飛び込む、俺。
続いてTAKE.なんかが弾けちゃった模様。やっといつものノリだ!
濡れる、走り回る。陸上部の走りだ!とCHIHARU.
また飛び込む。体を拭く。
そしてなぜかまた飛び込む。
そして時間差でCHIHARUまでが・・・。
えっと、こーなったのは誰のせいですか?
夜の海で最後にはしゃぐ。

ホテルに戻り、TAKEのトランクスをもらう。だって濡れたパンツじゃいられないもんね。そして語り、語りそしてまた語り。
残り1時間でチェックアウトCIHHARUがいき、のこり30分MASAYOがいき。最後に半寝でTAKEを語る。寝なかった。
ってかTAKE財布を失くす。
おいおい!寝始めた二人を起こしチェックアウト。車を探すがない。皆はとにかくブリスベンの空港へ向かい、俺は一人、夜の海ではしゃいだあのビーチへ。薄暗いビーチで懐中電灯片手に財布を捜す。ない。足が張るほど、歩くが財布はどこにもない。
ホテルに戻り、フロントで鍵を借り、誰もいない部屋へ戻る。まだほんのり香る。女の子の匂いだ。シャンプーかなんかのやつ。
海際の窓には眩しい朝日が昇る。
俺はみんなのいた部屋に一人この朝日とぼっと眺める。
「ああ、皆にもみせてやりてぇなぁ。バスから見てるかなぁ?」
そう思うと、ほんのり残った匂いがなんだかすごく懐かしく感じた。「あ!そうだ。財布だ。」
やっぱり探すがない。

で俺は空港へと車を走らせる。

四日目。

2005年1月31日 旅行
今日は俺の一押しBYRON BAY。
ここはいかなきゃでしょう!

なんだかTAKEには悪い気がしたが、前と同じコースだ!
だってやっぱりここはいかなきゃだし!でもそれでもいいって言ってまたオーストラリアに来てるTAKEは暇人とも言えるが本当に熱い!パワー出すところに困ってる様子が続いている、だがこいつはそれでも熱いって俺はまだ信じてる。

曲はもっぱら、SIMPLE PLANとMOSHPIT ON DISNEYだ。
ノリノリで車を走らせる。
通り雨にあう。が現地は晴れだ!
この辺はいつもどおり運がいい俺。気合だ。

相変わらず、海は綺麗で、今日はちっと波が高い。
ひたすら泳ぐCHIHARUとMASAYO。結果、毎日海へ入ることに。これは完全にMASAYOパワーと俺のノリがそうさせたんだろう。
TAKEは相変わらず、COOL気味だ。退屈に見えなくもない。がどうやら色々考えようとしているように受け取れた。
とにかく、またはしゃぎまくる俺。

飯はFISH AND CHIPS。ちっと買い物して、灯台へ。
CHIHARUはやっぱり何でも似合う。俺が気に入った貝のネックレス。もし女だったら俺はCHIHARUセンスの服装になるだろうな。ちなみに最近KAVYも同じような貝のネックレスを購入。あいつのセンスもCHIHARUよりだ。

灯台は相変わらず、風が吹き、海が一望、300度くらいに思わせるほど見渡せる。最高です。ここ。

どうやらMASAYOはここBYRON BAYがかなり気に入ったようだ。
そりゃぁ、そうでしょう!

そして家路へ。
ここからがすごい。
TEAM WORKだ!!

まずTAKEが最終荷物整理と車に積み込む。
これは二人だけで語れるいい時間になった。是すでに日付の変わろうとしている0時前。そしてホテルへ向かう。
ホテルにてMASAYOと交代。
MASAYOはブリスベン探索兼SHAREHOUSEチェック兼俺の眠らないようにするお相手兼親交深めるなどなど大役だ!これまたなかなか二人で語れるいい時間になった。で新たな俺の住所には寝ずに待っててくれた熱いSHAREMATESがいる。さっそく荷物を取り入れる。そして帰路へ。
向かうはずが夜中のブリスベン市内ドライブツアー開催。
ホテルの戻ったのは朝の4時頃だ。
そして皆に助けてもらいつつ楽しんだ一日が終わり、また新たな日がやってくる。

三日目

2005年1月30日 旅行
朝日を見た後ベットに潜り込み、また新たな一日がやってくる。

今日はとにかく、引越し。
なんだけど、なんだかノリでダイビングをすることに!
急いで家に戻り、ちっと買い物をしてタンクを借りたら海へ。
島研のMASAYOは本当にパワーあります。
二人でまず、泳いで無人島へ渡ることに。
早速俺は器材を背負って、海へ。
腕を切り裂く。痛い。血が流れる。サメ・・・。来ないよね。
MASAYOは俺に続く。泳ぐ泳ぐ。流される。拾われる。
見かねた現地のオージーが船で拾ってくれた。
助けられてしまった。
「CRAZY JAPANESE」っと一言。
結果、未遂。救助される。

まぁ、仮に島についてもきっと周りの誰かのボートに頼んで戻る羽目になったことでしょう。でも俺は最低限の準備器材ともしだめでもボートがたくさんあるのを計算済だ。まぁ、馬鹿なのはまちがいないですけど。

とにかく、近場でちっとダイビング器材背負って、スノーケリング。イチャイチャ。TAKEはちっと呆れてた用にも見えた。
そんなこんなで気が落ちないようにハシャグ俺。
組み体操とかやちゃったもんね。写真を撮る。

で家に戻って総出の引越し準備。
これにはもう感謝の一言。汗だくになってのお仕事でした。
本当におかげでスムーズ。かつ俺は怒りも収まり、ある意味大問題だったのだが、今は楽しい思い出とかしている。
これまたありがとう。

二日目

2005年1月29日 旅行
睡眠も足らないまま、一人早起き。
CD PLAYERを買いにゆき、皆のノリノリ音楽で楽しめるように設置。実際、後々見つかったCD PLAYERのフェイス・・・。用は無駄でした。

ともかく、これで準備万端。
ホテルへお迎えにあがります。
またも海へ向かう。Pacific Fairへ。
ここのビーチでTAKEを埋め、偽造乳をつけ、手胴足を作る。
いい年こいて皆で砂まみれです。これにはさすがに現地の人も笑ってました。

砂まみれで閉まり際、SHOPPING TIME!

4人でショットテキーラをたしなんだ後、INFINITYというなのアトラクションへ!馬鹿みたいにハシャグ4人。前のオージーに脅かされてうずくまるCHIHARU。ノリノリで酔ってないもんって言ってちょっと酔ってるMASAYOに、今回HOSHINO役を意識するちっとCOOLを気取ったTAKE。皆楽しんでます。まぁ、誰よりも俺がはしゃぎまくってるけどね。
 
その後、夜はSHOOTERSへCLUBINGです。
暑い、熱い。もう汗だくです。初めて人と密着汗まみれ!
いや、本当、人多すぎ!CHIHARUは絡まれすぎ!助けを求めるまで俺はほっときます。NEW EXPERIENCE。何事も経験ですから!そのかわりか弱くも俺はずっとチェックしておりました。「まだ大丈夫か?」
酔っ払いの街ゴールドコースト。

そんなこんなで酒飲んだわけで、ホテルへ戻り、お泊りさせていただくことに・・。なったけど、結局、無睡・・・。
楽しくて寝れませんでしたぁ!
MASAYOの日記に大暴走!
CHIHARUとの密着に大興奮!?
MASAYO日記でイチャイチャつまらないギャグと会話をしたためて。疲れ果てた4人はベットに入る。
TAKEとMASAYOは寝入り。
CHIHARUとイチャイチャはしゃいでたら、夜明けです。
「もうすぐ朝だ。」「寝なきゃだよ」
「あとちっとで朝。」「寝なきゃだよ」
「てか朝じゃねぇ?」「寝なきゃだよ」
「あああぁあ!もう朝だよ!」「寝なきゃだ・よ・・。」
「日の出みちゃう?」
ってなったときのCHIHARUの目はもう「寝なきゃだよ」って言ってる眼じゃありませんでした。子供のようにキラキラと眼を輝かせてるとはこのことを言うんですね。

いっちゃいました。日の出を見に!
二人して眠いのに駆け足です。
なのに道端で$20を拾うCHIHARU。が俺のもの。ガソリン代はいりまーす!ガイド費になりました。7日間$20。悪くないです!
ともかく、夜は明けてます。見る見るうちに明るくなり、日が昇る瞬間は逃す寸前。飲み明かしてにぎやかな街は、静まり返り、まだ街も眠たそうな中、テンション高くなっちゃった二人は車の元へ急ぎます。
こっちは急ぎなのに検問です。車を動かすも、POLICE MENに呼び止められて、初めてのブレスちぇえええっくです。酒は飲んだか?って聞かれて、サバよんで、4,5時間前にちょっとと答える俺。最初、ちっとビビッて息足らず、もう一度。
結果・・・・。
でませんでした。

急いで街の北へ。
もう眠気もすっきり!
信号待ちでイライラ、せかせか待つ。空はもうオレンジに染まり、見るからに朝日が昇っちゃった様子。
がしかーっし!
海沿いの道にでると、真平らな水平線から半円を描く眩しい太陽が顔を出しちゃった状態!!
「きたきたきたきたぁーーーーー!」
もうMOSHPIT ON DISNEY聞きならが、叫んじゃってます。

急いで車を止め、ビーチへ。
二人はもうまっすぐ太陽を見つめ、映画よりもドラマよりもロマンチックに決まっちゃってます。
CHIHARUは、半ば涙ぐんでるようにもみえました。
朝日がやたらと暖かく、また半眠モードへ差し掛かり、この太陽をバックに犬の散歩とかしてたらかなり絵になるなぁって二人で話す。

それにしても彼女にだってこんなもん見せたことないにな・・・。と俺。はは。
といいつつも、勢いのって、告っちゃう俺。
「CHIHARU!好きだよ。」みたいなぁああ!キャー恥ずかしい。
いや、本当思ったんだって、思ってたんだけどさ。
ちゃんと付き合うとかそ−ゆーんじゃなくて好きだって付け加えました。
心の底から来てくれてありがとう!って思いました。

ってかそうこう言っているうちに、
な・なんと!
犬が現れ!後ろにはその飼い主のカップルしき影が・・・。
なんとまぁ、完璧なシルエット!!
びっくりです。

なんだか寝入った二人に申し訳なさを感じつつ。ゆっくりホテルへ・・。
そしてまた新しい日がはじまります。

KICKED  OUT

2005年1月28日 旅行
初日。暑い。
3人は動物園でコアラだっこしにツアーへ。
俺は一人電車で家に。

ってか、俺の荷物勝手にまとめられってっしー!!
どうやら壁のペンキ塗り替えのようだ。
それにしてもこれじゃ3人を家に呼んで飯どころじゃなさそうだ・・・。イライラ。CD PLAYERのフェイスもみっかんないし!またイライラ。

車の整備に買い物へ。

家に戻るとシェアメイトのドイツ人のおばさん。ELIKが
「3日以内に家を見つけて」
へ?なんのこと。

帰ったその日にいきなり出て行け宣言だぁあ!

どうやら家のオーナーが家を売ったから俺の居場所はないらしい。でも三日間の猶予しかない・・。
家なき子。です。

ともかく3人と熱い七日間を過ごす計画が危うい。
家探し。引越し。学校手続き。
危うい!危うすぎるぅ!!

とにかく、3人のいるホテルへ向かう。
「ごめん。皆と遊べなくなりそう。」
「へ?」
「家追い出された・・・。」
「なにそれ?」

電話だ!
ここ、オーストラリア。少ない知人に電話を掛け捲る。
こと、なんとか住まわせてもらえる場所3件。
「まじで、皆優しすぎるぜぇ!」
持つべきものは友達です。本当に。
なんとかなりそうってことで、まず海へ。

The Spit。一望できるスポットだ。
波しぶきがすごい!
しょっぱなからノリで、もう皆ずぶ濡れ・・・。
しっかし、MASAYOちゃん!見かけによらず、本当パワーあります。これ!びっくり!
 飯は何もないうちでタイ料理お持ち帰り。そして、土ボタルツアーへ!夜中、車を走らせ。森へ進む。
光まくり!ヒカリダケまで発見。
「いかがなもんでしょう?」
TAKE, CHIHARU, MASAYO, HOSHINO(体調不良のため断念。)
奴らは熱いです。
俺と共にオーストラリアへ。
日本を離れるのがちっとも寂しくなかったです。
そして
最高の7日間を迎えることになるなることをまだ誰も知らない。

いやいや、俺も連日の激しい会合に疲れが出てたよう。無事帰豪できてよかった。

白鯨

2003年7月10日 時事ニュース
2003年7月10日:白鯨撮影! 目撃情報
7月10日、ツイードヘッド沖で幸運にも白鯨を目撃したMakotoさんとKavyさんから白鯨の目撃リポートと写真をお送りいただきました。MakotoさんはゴールドコーストTAFEという学校でDiving Resort Management Hospitality and Tourismを学んでいる学生、Kavyさんは香港出身でメルボルンからゴールドコーストに遊びに来ていました。2人はCOOK ISLANDへのホェールウォッチング・ツアーに参加し、この超ラッキーな白鯨との出会いを果たしました。以下、お二人からの写真とリポートを紹介します。

Makotoさんの目撃情報リポート
・・前略・・しばらくして一人のスタッフのおじさんが忙しなく船の中を行ったりきたり、そして「white whale!!」とでっかい声で独り言。そしてまた船の上へ戻っていきました。自分の耳を疑いました。そして船は加速して鯨の元へ。
船首にでる許可が出て一番乗りで真正面を確保。上下する波に興奮しつつ、しぶきにびしょ濡れ。盛り上がりポイントに近づくとアナウンスで一時の方向へ鯨がいる。すると鯨のしぶきとともに歓声があがりました。三頭のザトウクジラの中に一頭ものすごく目立った真っ白な鯨が。本当に真っ白で、明らかに目立ってました。あまりに目立ちすぎてサメやシャチなどの標的になるため生き延びるのはなかなか大変だそうです。色は真っ白。海の中に浸っている部分はエメラルドグリーン。大きさは16メートルと放送がありました。名前もついているそうです。忘れちゃったけど・・・(ミガルー、アボリジニ語で白いモノ。白い仲間と言う意味です。)二年前にも一度姿を見せたそうです。とにかく珍しいと従業員の人が先頭をきって叫び、手をふり。なんとか注意を引こうと大興奮。上空にはヘリコプターがやってきて、今夜の大ニュースだと。
鯨は船の100mから200mをいったりきたり。一度三頭ともに離れていくとなんだかあっけにとられてる人が多々。ビデオやデジタルカメラを確認してる人。白鯨をみると幸せになれると聞くと「これで今夜はカジノへ行って、がっぽり稼げる」と盛り上がる日本人観光客。そんな中、今度は白鯨だけが近づいてきて、船首の下にはいるか、入らないかのところを通り過ぎてこちらを確認してるようでした。そのあとも30分以上はあろうかという間船の近くをいったりきたり。近づくだびに歓声。彼女のKAVYは日本語と英語交じりで「BIG JUMP クダサーイ!!」と呼びかけて、日本人観光客もつられて「BIG JUMP クダサーイ!!」。スタッフの人も「BIG JUMP! BIGJUMP!」と。
残念ながらジャンプは見れませんでしたが誰も不満そうには見えませんでした。戻る時間になり白鯨を目の前にして船は帰路へ。船中に戻る客達を見送り最後の最後まで甲板で名残惜しそうなスッタッフのひとの姿が印象的でした。そして皆で珍しいとか運がいいなといつまでも確認しながら港に戻り、港には今夜のニュースにしようとカメラマンやインタビューアーがスタンバイしてました。そして子供を中心にインタビューが始まり、その横で僕らは出航前の記念写真を買いました。休みの最後に彼女のKAVYは白鯨と出逢えた喜びと興奮が強く残ったと言い。二人で珍しいものを見たら人は「幸せになれる」と誰からともなく言い出すもんだと。といいながらやはりこれで幸せになれると少し期待してしまいます。

あああ、また会いてぇなぁ・・・。

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