水族館の意義

2006年2月3日 趣味
水族館の意義
水族館が嫌いな人って実はいますよねぇ??
もちろん、このコミュニティーにはいないと思うけど、少なくとも水族館にいる生物をかわいそうなんて思ったりしてる人はいると思います。
自分もたまにそう思います。
イルカの調教師に憧れてました。
イルカショウを一日に3回も見たりしました。
イルカとスノーケリングしたり、イルカに乗ったり、野生のイルカに餌付けしたり、観測ツアー行ったり。
いつか自分もイルカと友達になれたらなんて思っちゃってる人です。

でもオーストラリアで何度もクジラを見るたびになんだか水族館のイルカとは違うって言うか、本来の悠々とした姿を目のあたりにした気がしました。

水族館生まれの水族館育ちってどうなんだろう?って。

生まれて、黙ってても餌が来て、狩りをしなくても飯にありつける。他の生物やらでっかい海すら知らないで狭い水槽で育って、ショーをやらされて。

オーストラリア・グレートバリアリーフで見たニモことカクレクマノミは、ものすごい育ってて、水族館で見れるやつの何倍もの大きさでものっすごい数のfamilyで暮らしてます。

水族館の意義について考えました。
「海を知らない人に海の魅力を伝える場」
ってことにしてます。僕の中ではね。
もちろん、河も湖も含まれてますけど。

ダイビングをしてまだ200本とちょっとです。
それでも多くの生き物を見て、その多くは水族館でみたことがある。それでも水族館にはない魅力があるから海へ潜る。
オーストラリアまで行って見れる生き物を都会の一角で見れる場は、すごく付加価値がある。それを見たことない人にとっては「未知のもの」で、泳げない人、潜れない人、遠出できない人、時間がない人にとって魅力的な場所です。

野生のイルカを見たことない人のほうがきっと多いと思います。テレビでブラウン管を通して映るイルカではなく、実物を見れる水族館の意義は計り知れないものがある。タイガーシャークにブルシャーク、海で会ったら危険極まりない生き物も見れました。一生出会うことのないだろう生物がそこにいる。思いっきり、世界観広がります。海のない国の人が海を知ることもある。
それが水族館の意義だと思います。

なんて少し小難しいですけども
本来あるべき姿ではないのが水族館の現実だと思います。
それをかわいそうだとか人間のエゴだとか思う人がいても当然です。

狭い水槽に何頭ものイルカがひしめき合ってる姿は正直、やりすぎだと思います。そりゃー、沢山いた方が迫力あります。
イルカショーでトレーナーを無視して、演技をしない。20分も泳ぎまくってる姿を見たとき、正直、ああ、海に戻りたいのかなぁなんて思ったりして、太平洋でバンバカ飛び跳ねるザトウクジラの姿を思い出しました。

僕は、水族館が好きです。
魚にっては安泰かもしれません。
けど冒険はきっと少ないです。
もし魚が安泰を望むならそれは水族館という天国です。
もし魚が冒険したいならそれは水族館という地獄です。

そんな風に思いながら水族館に行く人はきっと少ないだろうな。

コメント