「生きる意味なんてない!」

オレは、そう想います。
でも自分にとってこれは、真理でもネガティブじゃないんです。

蚯蚓(ミミズ)やら虫らやネズミに食われ、ネズミがウサギに食われる。ウサギが必死こいて、びびりながら生きる。(そうそう、余談だが、「びびる」って語源は、昔の鎧の音が語源らし
い。兵士が歩き鎧がなる音と水鳥の羽音が似てて、兵士が逃げ出したことから「びびる」って言葉出来上がったそうな・・・)鷹がそんなウサギを狩って、鷹が死んだら土に還って、虫が沸く。そんな自然の一部に何の意味があるんでしょ?自然の一部として必死こいてる生き物になんの意味があるんですか?
なんで地球があって、宇宙があんのさ?
意味なんかないっしょ?ってかあっても解るか?そんなもん。

人は皆、偶然を恐れて、意味を持ちたがる。
自分が生まれ、ここに存在するのは、偶然です。
自然の成り行きで生き物が生まれ、サルが進化して、先祖が絶やさず子孫を残し、両親がたまたま出会って結婚し、たまたまある日性交して、何億って精子の中から一匹が卵子に行き着いて、自分になった。
途方にくれたくなるようなお話です。
そんで性別も、見てくれも、ある一定の身体能力に頭のよさも、両親や国籍も選んで生まれることはありません。

そんなどうしようもないこと、「偶然」を抱えて生きていかなくてはなりません。それを悩む人の感情を切ないとしか表現できないように思います。そんな切ない思いも、そんな偶然を肯定したくて、必然であるとか意味があると考えたくて、人は宗教を創り出し、それを信じるのだろうって思います。自分が選ぶことのできない現状を「神が与えた」と信じ、偶然的に訪れた不幸を「神の試練」と信じて生きてゆく。そんな信者の集まりだ。

それでもいいと思う。
そう信じることで生きる意味が与えられていることになるから。

でもオレは違う。
オレは

「意味なき人生を意味ある人生にするために生きている」

って考えた。
言い方を変えれば、他に思う事は、

「生きることに意味がないなら意味があるようにすればいい。」
「生きることに意味があろうとなかろうと、なんとなしに楽しい。」
「嬉しい楽しいという感情があれば、それこそが意味となる。」

そんなとこかなぁ!

まぁ、要するに考えて答えが出る問題じゃない気がする。
だって多分それ自体にも、生きることに意味がないから。

何にしても、ちょっとやそっと怪我をしても自分の意思関係なしに傷は癒えていく。体に毒とされるほど酒を大量に飲み、二日酔い。あんなに苦しい思いをしても死なないオレの体。風邪をひいて、熱にうなされても死なない体。いっくら思いっきり走っても、死ねない体。オレの体は生きようとしてる。
人は突然死んでしまうことがあるものの、オレの体はひた生き続けようとしているらしい。そんなオレはもう22年と9ヶ月。だんだん生き方が決まってきたように思いがちだが、意外とそうでもない。自分が生きる意味を勝手に決めれば、その生き方になる。

こう生きたいから!

生きる意味なんて何でもいいっしょ?

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