「中学校生活と自分」
2005年9月21日 学校・勉強
中学校生活と自分
この卒業文集を書くことになり、やっともう少しで卒業なのだと実感した。中学校生活で強く印象に残っていることは、特に学校行事だ。運動会、三年間全級リレーのアンカーをした。そしてリレーや個人種目の選手にと人一倍たくさんやらせてもらった。小学校の時からずっと運動会には、僕の親、特に母が僕に期待していた。ここでいいところ見せないとあんたを育てている甲斐がないとでも言わんばかりに「がんばんなさいよ。」と僕にプレッシャーをかけた。なぜ母がそこまで期待するかというと、自分が幼い時、体が弱くあまり運動できなかったところ、僕が幼い時からずっと走るのが速かったから、すっかり舞い上がってしまっているのである。毎度、毎度僕の走りをビデオに撮っては、家に帰って十回以上も繰り返し見るのだ。けれど生き甲斐のように見てくれることが僕にとってとても嬉しかった。連合陸上、一・二年の時、自分よりタイムの遅い人が出ているのでなんでーと思ったけれど、三年になってやっと出場することができた。事前に練習をして、それまであまり話をしなかった友達とも仲良くなることができたし、たくさんの人が応援してくれた。国立競技場を走れたことなど僕にとってHAPPYな経験ができた。合唱コンクール。歌を歌うなんてだるいと思っていたら「優勝するんだから。」と言われた。そんなに頑張ろうとしている人がいるなら協力してやろうと思った。しかし、僕一人が勝手に協力してやるかなんて思っても意味がない。そこで「にいちゃん方、少しくらい歌おうぜよ!」と言ったら、すこしみんなが歌うようになった。似たようなことがもう一回あった。僕の体調がよくなくつらい時、みんなが楽しそうに教室の後ろで遊んでいた。迷惑そうにしている人もいるし、自分もつらかったので「やめて。」と言ったらすぐにみんながやめてくれた。「なんだこいつ、むかつくなぁ。」と思われたかもしれないけど、自分の言った一言でやめてくれたり、歌い始めてくれたことがとても嬉しかった。学校外でサッカークラブに入っていた僕は、二年の夏休みにブラジルへ短期留学をしに行った。試合をした相手のチームには「おいおい、なんだこいつすげー頭してるなぁ。サイババかよ。」と思ってしまうような人がいた。一つ年下のかわいこちゃんを20才くらいかと思った。いろいろな所と人を見たけれど一番びっくりしたのは、風呂がなく、シャワーだけだった。しかも1m2くらいの狭い空間だ。そして何よりもトイレとシャワー室は半透明の硝子でそこに入っている人の体勢がわかってしまうくらいだ。とまぁいろいろなことが強く印象に残った。
僕は、かなりいろんなことに対して考え込むほうだと思う。
けれど、何も考えないでいる人よりましだと思う。だから考えない人の集団に流されないようにして、自分は、自分だと言い張って生きたい。
僕には、夢や大きな目標がまだ見つからない。だからまずいろんなことに挑戦していき、自信をつけ、経験を重ね、夢や目標を見つけようと思う。そして目標が見つかった時、それを達成するために一つ一つこなしていけば自分の将来が見えてくると思う。つまりこれからの目標は、3つある。
(1)いろいろなことを考え、人に流されないで、自分は自分だと言い張っていけるようになること。
(2)夢や大きな目標を見つけるために何事にもチャレンジしていくこと。
(3)人のことを尊重していける人間になること。
完
留学を終え、部屋掃除をして、目に付いた中学の卒業記念文集。まず開いたページは、昨日会った友二人の作文。そして、恐る恐る自分のを読んだ。へたくそな字で書かれたその文章が目に入り、与えられた枠、文字数を大きく超えた下書きを無理やり削って書いたことを思い出させた。文頭、しょっぱなから、「あり!?やっともう少しで卒業!?なんじゃそりゃ?」と言葉がおかしいことに気がつく。が、「やっと」でもあり、「もう」でもあり、あと「少し」でと、オレの気持ちを無理やり一言で表せているように感じる。そして、多少自慢のように読み取れる文章にがっかりだが、どれの場面を思い返してもハッキリ一つ一つのレースが鮮明に思い出せる。自分の中学生活は、やはり「走る」ことが強い記憶を刻んでるのは確かだ。そして、そこにはいつも母の嬉しいプレッシャーがあった。これでオレの親孝行の半分は、終わったと本気で思っている。国立競技場は、オレの憧れの場所だった。世界陸上、サッカーJリーグ、日本代表戦。自分もいつかは、その舞台に立ちたいと思っていた。それが小学校の頃の夢「スポーツ選手」だった。その小学校の卒業アルバムに書いてあるオレの夢は、この時、実現されたのかもしれない。ここには触れていないが、実際、600人全校生徒の「YOSHII」コールと国立競技場の電光掲示板に載った自分の名前が今でも忘れられない。朝練、放課後練をして熱くなってる自分と声出しの練習をする応援団。その応援団には二つ学年下の妹がいた。「YOSHIIコールとかいって、自分の名前言うなんてやだぁ。皆にお前の兄ちゃん?とか聞かれるしぃー!」と愚痴を言っていたがオレは、すごく嬉しい!なんて口が裂けてもいえない15歳。突っ張ってました。合唱コンクールでは、なぜか、土佐弁?竜馬を意識してたんだっけ?恥ずかしい。ブラジルでの事をこれだけにしたのもびっくりだし。「かわいこちゃん」って15歳の言う言葉か?恥ずかしい。けど、最後は、15歳の自分に関心してしまった。
夢や大きな目標の見つからない素直な自分。おそらく、その夢を持っていない自分に落ち込んだ時もあっただろう。それでも今すべき事、先を見据えて、自分がどう成長したいのかを真剣に考えている。今の自分と変わらない。
15歳の自分は、
(1)に自信
(2)に挑戦
(3)に人
この時の信念は、今尚変わらない。
15歳の時から一生懸命、自信をつける努力をし、夢を見つけるための挑戦を続けてきたと思う。そこにはいつも人が絡み、22歳の今、自分は成長した!と思えるよ。そして、これからもモリモリ成長していくんだ。やっと最近、夢(でっかい目標)ができてさ、それに向かって、一つ一つこなしてゆこう!そう思えました。
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