今のオレの生活って、ものすごい幸せな生活なのかもしれない。
好きな場所で、
好きなことをして、
住む場所も食べるものにもこまらない。
金は少なからず多からずとも心配はない。
そして、最近、一人スーパーで買い物をしたこともなければ、一人で飯を食うこともない。いつも好きな奴が隣にいる。

これぞ、幸せってもんなのかもしれないなぁって心のどこかでずーと思って生活してきた気がする。

欲しいものがなんでも手に入るわけではないけれど、そんなささやかな幸せを感じ、それに満足してしまうのが少し怖いのかもしれない。チャレンジや野望を忘れ、なんとなしに「大学卒業するまでこれが続くんだろう」なんて危機感が感じられる。男がダメになるって言われるのはこゆー状況だったりするんだろう。それで満足する人は、きっと良い。だから否定はしないがオレは違う。なぜなら、オレはそれに満足することができない。きっと、本当の幸せは、今の生活と違うからだ。

ずばり、この幸せな生活は、掴み取った幸せではないからだ。

たまたま、支援を得られる家庭に育ち、今のオレがいる。つまり、親に食わせてもらって、好きなことやらしてもらってる分際なんです。金です。用は金なんです。
もう十分かじっただろう。十分親のすね吸い付いただろう。

んなわけで、こんなにすばらしい環境とささやかな幸せっぷりな生活を自ら手放すことにします。

 馬鹿だねぇ!

せっかく、あと1,2年?もうしばらく、ここで流れに乗ってれば、大卒という名の建前的資格が付いてきて、尚、ささやかな幸せが続くだろうに・・・自らそれを捨てるなんて、馬鹿としか言いようがありません。

この間、オージーの友達のお父さんに、
「大学を辞める一番の要因は?」と聞かれた。

要因はいくつもあるけど、一番の理由は、オレ自身が成長する一番の道は、日本へ帰って働くことだと思ったからです。

できれば大卒って一般的認知の高い学位ってもんを取っておきたいところですが、今のオレが一番成長するのは、ここにはないと見切りをつけました。

いつか、自分自身の力で幸せと掴み獲るために!!
なんて言うとなんかくさいですけど、本気です。
どんな人を好きになっても一緒になるためには金が要る。 
それを受けられるでっかい器が要る。
それをオレはこれから創るんです。 



今朝、家に帰ると32件のメールが届いていた。
待ってる人がいることがすごく心強く感じられる。 

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