本当の優しさって何なんだろう?
オレは、優しい人になりたい。でもどうすれば、優しい人になれるんだろう?そもそも、優しい人ってどんな人だよ?
Gentlemanと呼ばれる行為は、本当の優しさより程遠い。誰でもできるものを優しさと呼んでいいのか?fなわきゃないでしょ!?
女性を優先させ、リードする。ドアを開けてあげる。上着を脱がせてあげる。椅子を引いてあげる。冬空の下、上着を貸してあげる。これらは、ちょっと典型的過ぎるかな。体調不良を気遣ってあげる。心配をする。重いものを持ってあげる。こゆーのは、ちょっとした優しさというやつだ。「優しさ」と言うより、「気遣い」と言った方が適切だろう。「気遣い」と「優しさ」は、似てるようだが違うと思う。「気遣い」と「優しさ」の分かれ目は、曖昧だ。人によっての感じ方も違うだろう。
相手を気遣う優しさ。
相手を思いやる優しさ。
相手を許す優しさ。
相手を受け入れる優しさ。
相手を怒る優しさ。
優しさにも色々ある。
優しさを計算して行動するのは、偽善者とも言うだろうな。
なんでも許せばいって問題じゃない。なんでも受け入れれば優しいてのも吐き違えだし。
何でもあれこれやってくれる親。子は育たない。それも優しさかもしれないが子供の成長を考えると本当の優しさってのは、どうも違う気がする。
自分は手を差し伸べてやることができる。それでも見守ってあげる優しさ。例えば、病気の人がいます。その人は一人じゃトイレに行けません。肩を貸してあげれば、その人も楽に看護婦さんも少ない時間を費やすことですみます。けれど、患者はリハビリが必要です。手を貸さず、寄り添ってトイレまでいってあげることが患者にとって完治への近道になります。
チャリンコに乗ろうとする子供に対して、始め支えてあげるのも優しさだろうけど、いつかは手を離さなきゃ、その子はチャリに乗れるようになりません。
大切な人が傷つくだろう事実をあなたは知っています。
そんな時、あなたならどうしますか?
もちろん、事柄にもよるかもしれないけど・・・。
黙っていてあげる優しさ。伝えてあげる優しさ。支えてあげる優しさ。
優しさにも色々あるけど、本当の優しさってのがオレにとってしっくりくるのは、その優しさの中で、背負うものや代償になるもの、身を粉にしてでも優しくしてあげられる時が本当の優しさなのかもしれないなぁって思う。
残酷な事実を伝えるのには、勇気がいる。言うほうも辛い。そのあと、時間をかけて、受け止めるために、立ち直るために支えてあげる優しさ。思いやりの優しさだったりもするだろう。
黙って見守ってあげるは、手伝いうより大変だったりもする。
大げさに言うと、吹雪の山の中、生きるか死ぬかの状況で服を貸せる優しさ。
相手の気持ちを自分のことのように感じれる能力が優しさだったりもするだろう。
相手を怒れるって事は、自分が嫌われても仕方がないって覚悟がいることもあります。
金八流でいくと、「人を憂う」と書いて「優しい」という字になります。憂いと言う字には、あまりいい意味がない。
それらを受け入れ、思いやり、怒り、励まし、支え、などなど色んな形で相手の力になることが優しさなのかもしれません。昔の人はそんな風に理解してこの字を作ったんだろうな。オレが22年間の中での優しさっていう結論が実はもう字にでていたりして・・・
まぁ、先人の偉大さを感じつつも、まだまだ言葉にはできない「本当の優しさ」については思考錯誤が必要とみられます。
そして、海援隊、武田鉄也の唄には、オレの好きなフレーズがあります。
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだからぁ」ってやつです。
どれだけ、悲しい想いをすれば、本当に優しい男になれるんでしょ?
KAVYの話すこれからの生活、引越し、友達、学校などの話を聞いたオレは、返答怒り口調になりました。テストが終わり、PCGAMEにONEPEACEのアニメを見て時間をつぶす彼女を見て少し腹が立ったのがひとつ。車の免許は、仮免のまま。旅行の予定進まず。金がないことがすべてのように言う。動けば金がかかる。それは確かだけど、金のかからない遊び方があるだろう?バイトをするわけでもない。かと言ってできないのも現状かもしれない。やっとテストが終わりひと段落したところで、金がないのはわかるけどさ。一緒にいられる残された時間は少ない。
貴重な時間をKILLING TIMEと言って過ごすのは間違ってないか?そして、またかといって、オレはテストの真っ最中。掃除洗濯は地味にやってる。オレを心から励ましてくれる。文句を言うつもりはさらさらないのに。怒り口調になったその訳は、どうやらこんなにオレのために尽くしてくれる奴をオレ自身、ここに残して自分の道へと進むことに対しての怒りと、全く辛いそぶりや寂しいそぶりを見せないアイツヘの悔しさみたいなのと、オレの寂しさ、そして、オレがここを去った後のアイツヘ心配(これが一番の理由。きっかけは、引越しと友達の話。それがバイトとか、車の免許とかの生活でのことをオレの中で必要以上に考えたからだ。終いには、「MAKOTOが日本へ帰って、腹が減った時、KAVYと飯を食べに行こうって思えなくなるでしょ?」って言われた。お互いの生活の中で存在が薄れるんだ。)が入れ混じって、なんだか怒り口調って形になってしまいました。ちっともなってない。余計な心配で嫌な想いをさせているのが現状だ。
ここでオレは何ができる?
何をしてやれる?
それが本当の優しさの問われるところなんだと思う。
最近、それの繰り返し。
オレが日本へ帰るかと悩み、決断する中で、アイツは最近、心から楽しそうに笑うようになった。
「オレが今やるべきことはこれなのか?」
「あいつのためにしてやれることはこんなことなのか?」
そんな想いで接するのは結構、辛い。
今のオレは、アイツと同じように心から笑えてるんだろうか?
なんだか、3年前にも似たような状況だった。
あの時より優しい男になれてんのかな?
オレは、優しい人になりたい。でもどうすれば、優しい人になれるんだろう?そもそも、優しい人ってどんな人だよ?
Gentlemanと呼ばれる行為は、本当の優しさより程遠い。誰でもできるものを優しさと呼んでいいのか?fなわきゃないでしょ!?
女性を優先させ、リードする。ドアを開けてあげる。上着を脱がせてあげる。椅子を引いてあげる。冬空の下、上着を貸してあげる。これらは、ちょっと典型的過ぎるかな。体調不良を気遣ってあげる。心配をする。重いものを持ってあげる。こゆーのは、ちょっとした優しさというやつだ。「優しさ」と言うより、「気遣い」と言った方が適切だろう。「気遣い」と「優しさ」は、似てるようだが違うと思う。「気遣い」と「優しさ」の分かれ目は、曖昧だ。人によっての感じ方も違うだろう。
相手を気遣う優しさ。
相手を思いやる優しさ。
相手を許す優しさ。
相手を受け入れる優しさ。
相手を怒る優しさ。
優しさにも色々ある。
優しさを計算して行動するのは、偽善者とも言うだろうな。
なんでも許せばいって問題じゃない。なんでも受け入れれば優しいてのも吐き違えだし。
何でもあれこれやってくれる親。子は育たない。それも優しさかもしれないが子供の成長を考えると本当の優しさってのは、どうも違う気がする。
自分は手を差し伸べてやることができる。それでも見守ってあげる優しさ。例えば、病気の人がいます。その人は一人じゃトイレに行けません。肩を貸してあげれば、その人も楽に看護婦さんも少ない時間を費やすことですみます。けれど、患者はリハビリが必要です。手を貸さず、寄り添ってトイレまでいってあげることが患者にとって完治への近道になります。
チャリンコに乗ろうとする子供に対して、始め支えてあげるのも優しさだろうけど、いつかは手を離さなきゃ、その子はチャリに乗れるようになりません。
大切な人が傷つくだろう事実をあなたは知っています。
そんな時、あなたならどうしますか?
もちろん、事柄にもよるかもしれないけど・・・。
黙っていてあげる優しさ。伝えてあげる優しさ。支えてあげる優しさ。
優しさにも色々あるけど、本当の優しさってのがオレにとってしっくりくるのは、その優しさの中で、背負うものや代償になるもの、身を粉にしてでも優しくしてあげられる時が本当の優しさなのかもしれないなぁって思う。
残酷な事実を伝えるのには、勇気がいる。言うほうも辛い。そのあと、時間をかけて、受け止めるために、立ち直るために支えてあげる優しさ。思いやりの優しさだったりもするだろう。
黙って見守ってあげるは、手伝いうより大変だったりもする。
大げさに言うと、吹雪の山の中、生きるか死ぬかの状況で服を貸せる優しさ。
相手の気持ちを自分のことのように感じれる能力が優しさだったりもするだろう。
相手を怒れるって事は、自分が嫌われても仕方がないって覚悟がいることもあります。
金八流でいくと、「人を憂う」と書いて「優しい」という字になります。憂いと言う字には、あまりいい意味がない。
「憂い」
心を痛め悲しむ。
辛い想い。
嘆きや不満を人に訴える。
心配する。
病む。 などなど
それらを受け入れ、思いやり、怒り、励まし、支え、などなど色んな形で相手の力になることが優しさなのかもしれません。昔の人はそんな風に理解してこの字を作ったんだろうな。オレが22年間の中での優しさっていう結論が実はもう字にでていたりして・・・
まぁ、先人の偉大さを感じつつも、まだまだ言葉にはできない「本当の優しさ」については思考錯誤が必要とみられます。
そして、海援隊、武田鉄也の唄には、オレの好きなフレーズがあります。
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだからぁ」ってやつです。
どれだけ、悲しい想いをすれば、本当に優しい男になれるんでしょ?
KAVYの話すこれからの生活、引越し、友達、学校などの話を聞いたオレは、返答怒り口調になりました。テストが終わり、PCGAMEにONEPEACEのアニメを見て時間をつぶす彼女を見て少し腹が立ったのがひとつ。車の免許は、仮免のまま。旅行の予定進まず。金がないことがすべてのように言う。動けば金がかかる。それは確かだけど、金のかからない遊び方があるだろう?バイトをするわけでもない。かと言ってできないのも現状かもしれない。やっとテストが終わりひと段落したところで、金がないのはわかるけどさ。一緒にいられる残された時間は少ない。
貴重な時間をKILLING TIMEと言って過ごすのは間違ってないか?そして、またかといって、オレはテストの真っ最中。掃除洗濯は地味にやってる。オレを心から励ましてくれる。文句を言うつもりはさらさらないのに。怒り口調になったその訳は、どうやらこんなにオレのために尽くしてくれる奴をオレ自身、ここに残して自分の道へと進むことに対しての怒りと、全く辛いそぶりや寂しいそぶりを見せないアイツヘの悔しさみたいなのと、オレの寂しさ、そして、オレがここを去った後のアイツヘ心配(これが一番の理由。きっかけは、引越しと友達の話。それがバイトとか、車の免許とかの生活でのことをオレの中で必要以上に考えたからだ。終いには、「MAKOTOが日本へ帰って、腹が減った時、KAVYと飯を食べに行こうって思えなくなるでしょ?」って言われた。お互いの生活の中で存在が薄れるんだ。)が入れ混じって、なんだか怒り口調って形になってしまいました。ちっともなってない。余計な心配で嫌な想いをさせているのが現状だ。
ここでオレは何ができる?
何をしてやれる?
それが本当の優しさの問われるところなんだと思う。
最近、それの繰り返し。
オレが日本へ帰るかと悩み、決断する中で、アイツは最近、心から楽しそうに笑うようになった。
「オレが今やるべきことはこれなのか?」
「あいつのためにしてやれることはこんなことなのか?」
そんな想いで接するのは結構、辛い。
今のオレは、アイツと同じように心から笑えてるんだろうか?
なんだか、3年前にも似たような状況だった。
あの時より優しい男になれてんのかな?
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