こんなに疲れたの初めてじゃん?オレ。
寝入ってしまった。
昨晩11時頃かなぁ。本読みながら寝入ってしまった。
何度も起きようと試みたものの。
起きては本を読み、寝。の繰り返し。4時までは寝てたな。

疲れはそれでもとれず。。。

今日は差別について話したいと思います。
障碍って漢字を最近になって知りました。
障害。微妙にもニュアンスが違う「しょうがい」って意味。
障害者についてなぜかオレは経験もなければ、深い友達もいない。なのにすごく考えさせられる。そこには差別って言葉がついてくる。

いつだったかかなり話題遅れで「五体満足」を読んだせいか?なんかしら、力になりたいっていうか、刺激し合いたいっていうか、友達が欲しいっていうか。障害を持ってる熱い人との出会いを期待しているのかもしれない。オレの解らない世界を知っているような気がして。そゆー意味ではゲイの友達とかおなべ、トムボーイなど(性同一障害とかいう!?)の友達とかも欲しいって思うし、実際、友達ができた今、そんな人達から得る者は大きい。

最近になってやっとそんな間に付き纏う差別ってものがわかってきたような気がする。障害を持つ人の周りはやっぱり気を使う。「しょうがい」って言葉だったり、接し方だったりするだろう。ただ周りがあれこれ言うのはどうかと思う。
たとえば、障害って言葉がそんなに重要なんだろうか?黒人って言葉は差別になるんだろうか?(黒人、これはちっと話が深くなりそうだからここでは話さないことにしよう。)
五体が満足でないことは、やはり障害なんだと思う。だって人より、何かしら苦労、不便が増える。一人では歩けない。物がもてない。耳が聞こえない。目が見えない。などなど
(弱に言えば障害て言葉がまずいなら、もっと障害って言葉を使えばいいんだ。障害物競走。言葉の障害。虫歯とかもきっと歯障害、字が下手なのも、音読が下手なもの、しゃべりが苦手なもの、コミュニケーションが苦手なのも、ゲームが下手なのもみんな障害だ。ちょっと違うか?)

オレはここで言葉(英語)という障害を持つ。けれど誰もかわいそうだなんて思ってないと思う。しかし苦労、不便もあれば差別も受ける。通訳がいるかもしれない、そのハンデの理解がいるかもしれない、努力を認め、励ましが欲しい。助けが必要だ。

周りができることは、障害って言葉にうんちくならべたり、傷つけないように敬うことじゃない。苦労や不便を手助けすることだ。一人で立てないなら支えてあげる。歩けないなら連れて行ってあげる。耳が聞こえないなら、通訳してあげる。そゆうことだ。助けてくれ、手伝ってくれって信号を受け取って、そのやり方、どう手助けするかに思考錯誤すればいい。決して、気を使ってか、差別な言葉に気を使うかいうことじゃない。それは本人の問題だから。

付き合ってる彼女がいたとする。
彼女の友達があの子がかわいそうだとか、でしゃばってこられるのが大嫌いだ。本人が言うならわかる。二人の何をわかってそういうのか?いただけない。
それを言えない子もいる。言わせる助けをしなさい。それでもダメなら代弁者をする。中途半端な優しさからか要らんおせっかいをやかんでいただきたい。

前の日記で言ったが、本人にしかできないことが多すぎる。
決して悲しみを失してあげたり、事実を変えてあげることはできないのだから。そこで無力を感じてもやはり自分のできることを履き違えてはいけないと思う。

差別はそんなことから起きるんだ。
きついことを言うようだが、本人が自分は特別だ。かわいそうな奴だという意識。うでがなくなった、足がなくなった、耳が聞こえない、目が見えない。そんな周りに少ない障害が受け入れない弱みから、差別を自分でつくりだす。それか周りがあの人はかわいそうな人だと思い込む。哀れみからくるものだ。
本人が現実受け止めているのなら、それは本人の差別意識に従うべきなのに、周りがどうこう気を使いすぎてるように思う。

差別はそんな噛合わない所から始まるんだと思う。

海。ダイビングという中で障害者ダイビングを進めたい。
きっと何かしら世界観を変えることができると思う。そんな手助けをしたいと思う。海の中で手がない、足がないなんて気にしないはずだ。ダイビングという違う世界を感じれることのできる人ならきっとつまらないことをきにしないだろう。

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